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小説ドラマ映画 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』【あらすじ感想】

小説感想

『わたしを離さないで』の世界に行ってきました。

イギリスで2005年、日本では2006年に発行された日系イギリス人作家カズオ・イシグロによる長編小説。

イシグロは3作目になる1989年出版の『日の名残り』で、イギリスの権威ある文学賞のブッカー賞を受賞した世界的著名作家です。
他にも映像化、舞台化と様々な展開がされ、2017年にはノーベル文学賞を受賞されています。

原題:Never Let Me Go
訳:土屋政雄
 
2010年映画化
監督:マーク・ロマネク
出演:キャリー・マンガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイ

2014年舞台化
演出:蜷川 幸雄
脚本:倉持裕
出演:多部未華子、三浦涼介、木村文乃

2016年テレビドラマ化
脚本:森下佳子
出演:綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみ
 
原作は31歳の介護人キャシー・Hの回想によるもの。
語り手であるキャシーの幼少期が親友のルース、トミーと過ごした記憶を辿りながら描かれていきます。

 

『わたしを離さないで』のあらすじ

1990年代末のイギリス。

キャシーは「ヘールシャム」という寄宿舎のような施設で生活を送っていました。

施設の外を知らないキャシーの青春。

この隔離された世界で学び、時には絵を描き、友人との思い出をつくりながら、学生らしい時間を過ごしていきます。

ですがそこでの時間が増えるにつれ、キャシーたちをモヤモヤさせる様々な出来事に遭遇。

彼女は自分でも知らなかった自身のことを、過去を振り返りながら語っていくのでした。

・・・

三部構成の物語
第一部:ヘールシャムで過ごした幼少期
第二部:ヘールシャムを出て外の世界へ
第三部:介護人になったキャシーの日々

語り手ありきの物語です。
キャシーがいた隔離された施設でのこと。
語り手がいることでこれは真実なのだろうかと、その内容からも判断は読者に委ねられることになります。
 
彼女はなぜ昔のことを振り返ろうと思ったのでしょう。
キャシーは淡々と話していきます。
ケンカしては仲良くしたり、手に負えないような暴れん坊君とも親密になったりと、ヘームシャムで過ごしたかけがえのない時間。

そして徐々に明らかになっていった彼女たちの真実。
その事実を受け入れていくキャシーたち。

それがどうしても覆ることのない事実だったとしても、キャシーには笑って泣いて怒って愛することのできる心がありました。
けど普通の人間にある生殖機能はもっていません。

生まれればいつか死ぬのはわかるけれど。
それでも人の延命のためだけに生まれて体を提供し、早くに死ぬことが決められているというのは
自分にはなかなか受け入れられることではありませんでした。

そこで感情をむき出しにする者もいました。
けどその後には周りの手を解いて一人でその道を進んでいってしまいます。
 
キャシーも抵抗はしませんでした。
話す彼女は11年も介護人として働き、人の延命のため臓器を提供する提供者を見てきています。
そして彼女の大切な人たちはみんな同じ道を辿っていっていました。

キャシーはそのどうしようもない現実を受け入れるために
自分たちが真実に少しずつ近づいていったように過去を振り返っていきます。
 
謎がなかなか明かされないもどかしさを時々感じていたけれど、それはキャシー自身が感じていたことなのだと思うようになりました。
またそのもどかしさがありながらも、予感や心のどこかではなんとなく気づいている部分もありました。
 
そうして話し終える頃には彼女にその準備ができるよう、キャシーがこの後自分に起こることを受け入れられるようにと、語られている内容はキャシーが自分自身に言い聞かせているものになっています。

そこに表れているキャシーの心。

そのような存在を生み出し、役目を終えたら殺すことができてしまう恐ろしさを感じてました。

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キャシーたちはヘールシャムで何を学んできたのか。

「教わっているようで、教わっていない」

ある保護官がキャシーたちに言った言葉です。

彼らは日常的にケンカをしたりすることはできても、反抗する手段だったり戦うことを知りません。
 
キャシーたちのような存在を管理している施設は複数あり、他は劣悪な環境のよう。
その中でヘールシャムは普通の人と同じように学校生活を送れる配慮がされているなど、特別良い待遇でキャシーたちを受け入れていたのでした。

けれどその教育に声をあげた保護官も。
残酷な現実を知らせず保護することが正しいのか、それとも知らせることがキャシーたちのためになるのか。

隔離された場所で、制限された教育しか受けられずに外に出されたキャシーたち。

彼らに戦う力が無いのなら、決められた流れに従って流れていくしかありません。
繁殖機能がないことなど何かが欠けているのが、彼らが人間を超えないよう制御されているためであるのなら
もしそこまでを彼らが知り人間を超えた場合には反逆が起こるのではないかと思いました。

 

映画『従花-ADABANA-』Netflixドラマ『さよならのつづき』と観て思ったこと

『従花-ADABANA-』では臓器提供を受ける人の側に立って物語が進んでいきます。

一方『わたしを離さないで』のキャシーたちは、自分が誰の提供者なのかを知りません。

こうして両方の立場から共通するテーマを掘り下げられたことが大きかったです。
 
臓器の提供をする側だけが苦悩しているわけではないということ。

また『従花-ADABANA-』の提供者は、臓器を提供することに喜びを感じている分
提供する側のことだけを考えた場合にはまだ救いを感じられました。

けど提供者の置かれている状況を『わたしを離さないで』で見たことで
そこに喜びを見出している真っ白な純真さに、施設でどんな教育を受けてきたんだろうとやっぱり思わずにはでした。

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そして『さよならのつづき』は人から人への臓器移植によって生まれたお話です。

亡くなった恋人の臓器が移植された人の中に、その恋人を想起させる部分を見つけてしまう。
臓器移植による記憶の転移が起きたら、そしてその移植された人に家庭があったら。。。という、この作品もまた難しいテーマでした。
 
『従花-ADABANA-』と『さよならのつづき』の両方から受けたのは
人間とクローン、人間と人間の間に起きたことという違いはあれど
提供する側と受ける側はやっぱり本来は会うべきでないということ。

それが保たれていたのが『わたしを離さないで』でした。
 
ですがキャシーとルースはヘールシャムを出た後に、自分のオリジナルを見つけ出そうとします。
けどそれが叶うことはありません。

その時の彼女たちの様子から、『従花-ADABANA-』と『さよならのつづき』に触れる前に
『わたしを離さないで』を読んでいたら、オリジナルに会えていれば違う可能性があったかもしれないと考えていたと思います。

けどそこでの苦しみや葛藤を見てきたことで、そういう気持ちになることはありませんでした。

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出会った時の感動や一緒に過ごすことで色々な新しいストーリーが生まれていくものの、その背後にはずっと重いものが付いて回っていました。

だから会ったほうが間違いなのかとか、そういうことが言いたいのではなく
会えたケースと会えなかったケースの両方があることで、ここでも考えが深まったということ。

それも片方が守られている存在ではなく、どちらもが自立している人間の物語もあって。

テーマは違うけれど臓器移植という共通のことから、合わせて考えていました。

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またキャシーたちにとってはオリジナルだけでなく、このヘールシャム自体が親のようなものになっています。
親のいない彼女たちが守られ、喜怒哀楽豊かに育った場所。

だからヘールシャムを出た後にキャシーとルースは、オリジナルを見つけようとしたのだと思います。

けど見つけることは叶わず、そのまま外の現実に晒され流れていくしかありませんでした。

そうしたことから「わたしを離さないで」の言葉は、生み落とされた子どもが親に向けたもののように感じるタイトルになっていました。

 

ドラマ『わたしを離さないで』を観てのあらすじ感想

原作では子どもから親に向けた「わたしを離さないで」だと書きましたが、ドラマでは違う捉え方ができるものになっていました。

関連する作品を観るほどに世界観が膨らんでいきます。

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舞台はイギリスから日本へ。

ヘールシャムは陽光学苑となり、キャシー・トミー・ルースは保科恭子(演:綾瀬はるか・鈴木梨央)、土井友彦(演:三浦春馬・中川翼)、酒井美和(演:水川あさみ・瑞城さくら)として描かれていきます。

そして陽光学苑に新人教師、堀江龍子(演:伊藤歩)が赴任。

外の世界から龍子が入ってきたことは、子どもたちにそれまでに無かった新しい考えを抱かせることに。

教育理念がきっかけで学苑の教師になることを志望した龍子でしたが、彼女は学苑の本当のことを知りません。

龍子の正義感の強さは、それまで教師たちが守ってきたものを破ろうとする行動へと繋がっていきます。

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ドラマは恭子、友彦、美和の三角関係にフォーカスがあてられ、それぞれの関係の変化が丁寧に描かれていました。

そのため「わたしを離さないで」の言葉が、ドラマでは三人の間の言葉に。この言葉の解釈の変化が大きかった部分です。
 
それと美和に対して抱く印象の変化には大きく心動かされてました。

美和は一番人間らしさを感じる存在です。

彼女がモンスターと言われてた時にはつい笑いが。

いつそんなことを覚えたんだろうと嫉妬からくる彼女の行動の数々。
嫉妬と一言で書いてしまったけど、その背景には彼女の様々な思いが混ざっています。
 
最初は美和に対してムキッとしていたことも、最後にはグスリと。
キャシーの回顧録を読んでいる時とは違う感情の揺さぶられ方をしたドラマ版。

原作もドラマもルースと美和がいたことで、物語がより面白くなっているのは間違いなく。
彼女の感情からくる行動は人間そのものでした。

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またドラマだけに登場する、真実(まなみ/演:中井ノエミ、エマ・バーンズ)の存在。

彼女は恭子たちと同じように学苑で育ちながらも、恭子たちを諭すような話しをする変わった子でした。

真実は学苑を出た後、クローンの人権獲得のための活動に励むことになります。
 

憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

引用:日本国憲法

 
真実が持っていたメモの内容です。このメモは彼女にとっての希望でした。

「誰にだった幸せを追求する権利があるのよ。」と恭子に話す真実。

真実にとって恭子は大切な存在でした。
けど真実は恭子にでさえ、心臓をあげることはできないと訴えます。

真実のエピソードは、誰よりも流れに抗おうとする姿で描かれていました。

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そんな彼女たちがひっそりと暮らし、人知れず自分に課せられた使命を果たしていること。
希望を抱いては砕かれ、どう抗っても変わらない現実。

そんな恭子たちの前に提供で助かった人が現れて感謝されている場面ではどうしようもない気持ちに。

提供ではない方法で死を迎えた真実の最後ですが、命懸けの最後は強く深く刺さるものでした。

 

映画『わたしを離さないで』を観てのあらすじ感想

 
公開:2010年監督:マーク・ロマネク

キャシーキャリー・マリガン幼少期:イソベル・メイクル=スモール

トミーアンドリュー・ガーフィールド幼少期:チャーリー・ロウルースキーラ・ナイトレイ幼少期:エラ・パーネル
 
そしてイシグロが製作総指揮として参加。ドラマも映画もキャストが豪華でした。

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人類の平均寿命が100歳を超えた1900年代のこと。

SF映画として始まる映画版は、アレンジが加わりながらも原作に忠実に映像化されています。

その中でラブストーリーがテーマとなり、限られた時間をどう生きるのかが問われている作品です。

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原作から色んな展開がされている時の、観る順番が大事なんだと痛感しました。。。

自分の観た順番は原作、ドラマ、映画の順。

もちろん好きに観るのが一番なのですが、まだ触れたことのない人には映画、原作、ドラマの順で観るのをオススメしたくなってました。
 
文章から映像になって表現されている映画版。映画は小説よりも余白が多く残されている印象です。

明確な言葉になっていない部分が多く、静かにその残酷な現実を受け入れていくキャシーの姿。
そして癇癪もちのトミーに、あのルースが荒波をつくっていきながらも、全体が静かな空気に包まれている映画でした。
 
映画版の映像の後に文章で世界観を膨らませていって、最後にドラマで大幅なアレンジのされている『わたしを離さないで』を観ていくと、きっと徐々に膨らんでいく流れに。

映画より原作から読みたい場合にも、最後にドラマ版をと。

オリジナル要素が加わったドラマ10話分の『わたしを離さないで』を観た後に、2時間でまとめられている映画を観るというのは

本当ならそこにたくさんの表現がされているにも関わらず
それらが流れていってしまったり深く感じられなくなってしまう原因になると思った個人的な失敗エピソードでした。

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原作もこの後にまた読んだら、違う感じ方ができるのかもしれないと。また時間を置いて観てみます。

 

書籍

 

公式サイト・配信一覧

映画『わたしを離さないで』|20th Century Studios

TBSテレビ 金曜ドラマ『わたしを離さないで』

 


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