映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』セルマのもっていた黄金の心【あらすじ感想】
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観てきました。
監督:ラース・フォン・トリアー
2000年に公開されたミュージカル映画です。
『奇跡の海』(1996年)『イディオッツ』(1998年)と共に構成される「黄金の心三部作」の1作。
ラース・フォン・トリアーが幼少期に読んだ児童書『Guldhjertet(黄金の心)』が基になっている作品です。
もくじ
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のあらすじ
視力を失う病を患っていたセルマ。
彼女には一人息子のジーンがいますが、遺伝性の病気であるため
ジーンもいずれはセルマと同じ道を辿ることが、彼女には分かっていました。
そこでセルマは徐々に失われていく視力の中で
ジーンの手術費を稼ぐため働き詰めの日々を送ります。
ですが少しずつ貯めてきたお金を隣人に奪われ
彼女はその人物を殺してしまうのでした。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の感想
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観たきっかけ
この作品を初めて観たのは、まだ子供の頃。
よく行くレンタルショップの、目に留まる所にあって
アイスランドの人気歌手、ビョークの写真に惹かれて手に取った気がします。
今改めて観ると、その時はやっぱりちゃんと理解していなかったんだなと…。
けど子供の自分が理解できた部分だけでも悲しくて
もう観れないと思った映画でした。
・・・
それが最近になって、ふとした時に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の
セルマ(演:ビョーク/吹替:玉川紗己子)が浮かぶようになっていたり
タイトルを見かけることがあったので
この機会にと、もう一度鑑賞。
大人になってから観ると、やっぱり記憶の中とは違うものに塗り替えられていきます。
それでも悲劇の連鎖が続いていくことに変わりはありませんでした。
・・・
そうした最悪に向かっていく中でも、セルマへの助けの手は何度も差し伸べられていました。
救いはあったはず。
それを彼女は受け取ろうとしません。
そうしている間にも視力は日に日に弱まり、追い込まれていくセルマ。
けど見えなくなっていったのは、目で捉えられるものだけじゃなく。
周りの人の想いや、彼女にとって救いになるはずのものも
セルマには観えなくなっていました。
叶えたいものに突き動かされていたセルマ
自分の目が少しずつ見えなくなっていく怖さ。
それでもセルマが毎日やるべきことを精力的にこなして
笑顔を浮かべられていたのには、ワケがありました。
彼女には叶えたいことがあったからです。
もともと2つの実現させたいことを、内に秘めていたセルマ。
1つは自分の夢で、もう1つは12歳の息子ジーン(演:ヴラディカ・コスティック/吹替:出口佳代)の目の手術をすることでした。
ジーンの手術は彼女にとって自分の命よりも大事なこと。
ですが大切な手術の話を、セルマは誰にも打ち明けずに実行しようとします。
ジーンには精神的な負担が手術に影響するからという理由で。
彼女を支えてくれていた人には、迷惑をかけたくなかったのかもしれません。
一見、精神的には自立しているように見えるセルマですが
実際には無防備で、まだ子供のような女性でした。
・・・
セルマがかわいそうで、周りが悪いみたいに思っていた1回目に観た時の記憶。
それが2回目の鑑賞では、セルマに対して自分の抱くものが変わっていってました。
自分も大人になりきれていなかったり
いろいろな面で、人より成長が遅いと言われることがあります。
自覚できていないところもあるんだろうけど
欠落していたり、未熟な部分があるからなのか
セルマにどうしてってなる気持ちのほうが強くなってました。
・・・
セルマは秘密を共有することに対して、2つの側面を見せます。
1つは秘密を話してくれた人に対して、自分もと同じようにして秘密を打ち明けるセルマと
もう1つは、頑なに教えようとしないセルマです。
そしてセルマが頑なに話そうとしなかった人のほうこそが
彼女のことを本当に愛している人たちだったという。
彼女がお金を盗まれてからは、その頑なさが強くなったように見えました。
けどどうしてそこまで意固地になるんだと言われてしまいそうな中でも
彼女がそうして頑なに守り抜いた一番に叶えたいことが
セルマを良くも悪くも強くしていきます。
彼女にとっては、そういうものがあることが救いになっていたのかもしれません。
自分が、この作品を観た後に感じた一番の救いは
彼女の叶えたいことにありました。
「黄金の心三部作」のそれぞれの映画に共通していること
「黄金の心三部作」の『奇跡の海』(1996年)と『イディオッツ』(1998年)も観てきました。
『奇跡の海』は主人公のベス・マクニール(演:エミリー・ワトソン)が
事故で寝たきりになった夫、ヤン(演:ステラン・スカルスゲート)の望みのために娼婦のようになるというもの。
『イディオッツ』は主人公のカレン(演:ボディル・ヨアンセン)が、あるコミュニティに入ることで始まっていきます。
健全で障害のない人が知的障害者のフリをして集団生活をしているグループですが
カレンはそこに居心地の良さを感じて、彼らと行動を共にするようになります。
2つの映画を観て、こうまでしなきゃ黄金の心は見えてこないのかと愕然としました…。
人によっては、普通じゃない、おかしい、狂ってるなどの言葉に集約されてしまいそうなシリーズです。
まともな精神の主人公はいません。
自分は黄金の心って…ってわからなくなってきてました。
・・・
中でも『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のセルマと、『奇跡の海』のベスには強く結びつくものが。
2人とも変わっている主人公ですが
もともと持っていたものが、彼女たちを取り囲む周囲の影響で強くなっていきます。
けどそこに身を置くことを選んでいたのは、彼女たち自身でした。
そしてセルマとベスには、助けの手が分かりやすく差し伸べられていますが
2人ともそれを拒否します。
それでも起きている現実から、目を背けずにはいられないという彼女たちの思いが表れていました。
セルマは頭の中のミュージカルに入り込み
ベスは自分の中に神をつくり出していきます。
そんなふうにならないと自分を保てない。
助けの求め方がわからないのか
自分がもうギリギリのところまできていることに気付いていないのか。
2人の叫びにならないものに、すり減ってくような気持ちになってました。
カレンもまた現実からの逃避をしているけれど
セルマ、ベスとは少し違く感じたので分けています。
・・・
そして3人の女性に共通しているのは
彼女たちの願いが叶っていたり、決心したことを実行させたりしているところ。
代償が大きく理想的なものとは違くても、それでも彼女たちは実現させていました。
それができたのは、代償の大きさにほとんどの人なら働くはずのストッパーが彼女たちには無かったから。
ただ自分の願いにピュアというか
それがどこか幼く見えるのかも。
その部分だけを取り上げれば、純真無垢な女性たちです。
けどそういう部分が見えるまでに
特にベスやセルマは問題視される部分が、いろいろと表面化。
黄金のような心があるのなら
それに匹敵するだけの問題になる部分もあるんだと。
そうした部分も最後まで見て、向き合い続けることで
ようやっと黄金の心に触れられるんだろうなと思う作品でした。
そのくらい見えづらかったり、そうなってしまうのが今の世の中なのかもしれません。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の配信一覧
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
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