映画『V.MARIA』ヴィジュアルロックの中にあった亡き母の秘密【あらすじ感想】
『V.MARIA』の世界に行ってきました。
監督:宮崎大祐
創業30周年を迎えたメディアミックス・ジャパンが
若手社員の劇場映画企画プロデュースの機会を与えるために始動したプロジェクトです。
『V.MARIA』のあらすじ感想
母子家庭で育った高校2年生のマリア(演:菊地姫奈)。
ある日突然母の聖子(演:吉田凛音)が他界し
祖母である幹枝(演:藤田朋子)と2人の生活が開始。
聖子の遺したものを整理していたマリアは、そこに彼女の知らない聖子を見つけます。
母の思い出を辿っていくため、マリアはライブハウスへと向かうのでした。
・・・
『V.MARIA』はヴィジュアル系カルチャーをまだ知らない主人公が
母の秘密を知りたいという想いから、ヴィジュアル系の世界に足を踏み入れていくストーリーです。
作中に登場する「ライブハウスのキョーコさん」と呼ばれるような
周囲のバンギャル(ヴィジュアル系バンドのファン)から崇められる人に
自分は感想を書いてほしいと思う作品でした。
ライブハウスのキョーコさんこと響子(演:サヘル・ローズ)は
バンギャルの仲間がライブハウスに来なくなっても
ひとり、30年以上通い続けてきた人物です。
好きを好きなままでいることや、周りが離れていく中でも貫くことは簡単じゃありません。
マリアにとってのキーパーソンにもなっている響子。
彼女が今もなお、ライブハウスのキョーコさんでい続けていなかったら
ライブハウスでマリアは響子と出会うことはありませんでした。
・・・
自分はライブハウスに行ったことはありますが、通い続けられてはいません。
映画館にはバンギャさんが多いのかなと思っていたけど実際に行ってみたら
客席はライブハウスのフロアとは違う雰囲気で
映画とライブは違うんだということを改めて感じました。
そこにはバンギャルらしき雰囲気の人もいれば
ヴィジュアル系の音楽が好きで観に来た人なのか
それともヴィジュアル系をこれから知っていくのかもと
どんな理由で来場されたのか訊いてみたくなる様子だったのを覚えています。
ライブハウスに通っている人、ライブには行かないけど音楽が好きな人
界隈から離れた人、映画が入口になっている人、実際にステージに立っている人など
ヴィジュアル系の世界にどう関わっているのかで、違う感想が生まれそうでした。
・・・
人の数だけあるストーリー。
自分は過去ライブハウスに何回観に行ったんだろう。
ライブハウスのあの空間が好きです。
始まる前の賑わい、建物の中が音楽や歓声でいっぱいになった時
たまに周りの人たちとの間にちょっとしたエピソードが生まれたり。
そしてあの間近で浴びるパワー。いろんなことを思い出してます。
・・・
世界中の人と共有できるレコーディングされた一曲を
いつでも好きな時に受け取ることができるなかで
その日だけの歌を同じ時間にそばで共有できる。
そこでまた新しい物語が生まれていく。
音楽は違う世界を生きてる人とも、いろんな人同士を繋げてくれるものに自分は感じています。
ある時を機にヴィジュアル系のライブに行くようになってそれがなかったら今の自分はいませんでした。
・・・
色々と自分のことを書いてしまったけれど
マリアには「MARIA」と書かれた1本のカセットテープから
そして亡くなった聖子は、ヴィジュアル系から始まって
ライブハウスで迎えた人生の転機がありました。
・・・
聖子がマリアに明かすことのなかった過去。
けど大切に残されていた当時のものたち。
彼女はいずれマリアに話そうと思っていたのか
それともいつかマリアが自分の思い出の品を開ける時を待っていたのか。
それは誰も知り得ないことです。
いや宮崎監督や脚本を担当された池亀三太さん、聖子役の吉田さんならご存知なのかも。
けど言葉にされていない部分に
誰も侵すことのできない、当人たちだけの大切なものがあるように感じました。
そしてその大切なものを、聖子の大切なマリアが辿っていく。
悲しさが大きく穴を空けているなか
母の大切にしていたものがマリアの支えになって
彼女が踏み出す勇気を与えていきます。
背中を押されたマリアが
未来でもし周囲から崇められる響子のような存在になったら
その時はどんなふうに呼ばれるんだろうって、ちょっと思いました。
・・・
宮崎監督のメッセージから「すべての大切なもののなかでも、
どうして好きかわからないものが一番大切だ。」ということを教えてもらいました。
どうして好きかわからないもの。
自分にもあります。
それが普段こうして言葉にすることをしているからなのか
大切なはずなのに、言葉にできないことに時々モヤモヤしたり
違う感情の湧いてくる時があります。
そのことを掘り下げていくよりも
言葉にできることが優先になって頭を埋め尽くしていたり。
言葉にできることは共有しやすい。
言葉にできないものは共有されることがない分、自分の中で大きくなっていきます。
映画を通じて、数年を振り返ったり
自分にとっての言葉にできないものの見方を
意識する機会をいただいた作品でもありました。